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鎌ケ谷市の非核平和都市宣言

更新日:2024年10月24日

鎌ケ谷市は、昭和59年(1984年)7月2日に核兵器の廃絶と軍備縮小を訴え、さらに世界の恒久平和を実現していくため、「非核平和都市」とすることを宣言しました。
これは、平和を願う市民の皆さんの声を背景に、市議会で採択され生まれたものです。
核兵器廃絶を求める平和宣言都市としては、習志野市、四街道市に次いで千葉県下3番目です。

非核平和都市宣言

世界の恒久平和と安全は、人類共通の念願であり、人類が尊重しなければならない普遍的な理念である。
この崇高な目的の達成なくして、鎌ケ谷市のめざしている「自然と調和した住みよい街づくり」の実現もあり得ない。
わが国は世界唯一の核被爆国として被爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再びこの地球上に核兵器による惨禍を繰り返させてはならない。
私たち鎌ケ谷市民は、生命の尊厳を深く認識し非核三原則が完全実施されることを願い、平和を愛する世界の人々とともに核兵器の廃絶と軍縮を訴え、世界の恒久平和を実現することを決意する。
ここに鎌ケ谷市を非核平和都市とすることを宣言する。

1984年7月2日 千葉県鎌ケ谷市

非核平和都市宣言関連事業

鎌ケ谷市では、非核平和都市宣言を象徴する平和記念像「かたぐるま」や被爆石2片をはめ込んだ「平和祈念碑」の設置、原爆写真パネル展等の事業を行ってきました。
市民のみなさまの中に育った平和の芽を大切に育てていくとともに、新たな平和の種を、次代を担う子どもたちの心に育むために、各種の事業を進めております

これまでの非核平和事業

平和記念像

かたぐるま

平和記念像の写真


非核平和都市の象徴として平和記念像「かたぐるま」を市庁舎前広場に設置しました。

(1985年12月19日)

記念像の制作にあたっては、市内初富に住んでいる彫刻家・酒本雅行さんに全面的な協力をいただき、ブロンズの母子像を作ることができました。また、台座は台座制作業者から好意により寄附されたものです。
制作者の酒本さんは、「非核平和都市宣言を求める声が市民からわき起ってきたところに価値があります。ブロンズ像は母親と子どもが安らげるような社会が末永く続いてほしいとの願いを込めて造りました。」と話していました。


平和記念碑

譲り受けた被爆石

将来にわたって恒久平和を祈る市民の総意の象徴として、広島市から譲り受けた被爆石2片をはめ込んだ平和祈念碑を設置しました。
設置場所 総合福祉保健センター正面入口

(1991年10月)

(1)広島信用金庫横川支店(爆心地から約2.5キロメートル)の敷石

横55センチメートル×縦36センチメートル×厚さ15センチメートル
重量60から70キログラム
種類 花崗岩(御影石)

(2)広島市旧庁舎(爆心地から約1キロメートル)の前庭敷石

横64センチメートル×縦45センチメートル×厚さ15センチメートル
重量 約80キログラム
種類 花崗岩(御影石)

いずれも御影石ですが、被爆の時の熱で表面はざらざらになっています。

碑文

透きとおった葉脈を滑るひと粒のしずく
朝の太陽をあびたきらめきは
あの昭和20年夏の閃光とは異質なものだ
風にのって運ばれる小鳥のさえずりも
爆風でかき消された絶叫とは 別世界の調べ
ここに集え
水滴に映る「平和」を見よ
この道標の先にはわたしたちの道が続いている

説明プレート

説明プレートの写真

「千の太陽より明るい」これは、昭和20年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴード砂漠で行われた史上初の核実験を目撃した人の言葉である。このわずか3週間後には広島に、そして長崎に原子爆弾が投下された。それは人類初めての被爆体験であった。

8月6日、広島は静かな朝を迎えていた。午前8時15分、上空8500メートルから投下された原子爆弾は、市の中心部上空580メートルで爆発した。その瞬間、爆発点は数百万度に達し、直径280メートルの巨大な火の玉と化して人びとの頭上を襲った。

爆心地にいた人たちは3000から4000度の熱線を浴び、瞬間的に燃焼。跡形もなく蒸発した。1キロメートル以内にいた人たちは大やけどを負い、ほとんどの人が即死または数日以内に死亡した。熱線は爆心地から2キロメートル以内の燃えうるものすべてを炎上させ、3.5キロメートルはなれた人びとにもやけどを負わせた。

爆風による被害も広範囲に及んだ。爆心地付近のコンクリート建物、2.3キロメートル以内の木造建物をなぎ倒し、16キロメートルはなれた窓ガラスをも破損させた。

この熱線と爆風によって、市域の42パーセント、鎌ケ谷市域の約1.5倍にあたる30.3平方キロメートルが罹災した。

深刻な被害は続く。放射線が人びとの体に食い入ったのである。爆心地から1キロメートル以内で直接放射線を浴びた人は、発熱、おう吐、下痢、出血などの急性放射線障害によってほとんどの人が亡くなった。爆発後、放射性物質を多量に含んだ巨大な「きのこ雲」が上空に舞い上がり、死の灰となって地上に降り注いだ。このため爆心地から遠くはなれた地域にいた人も放射線による障害に見舞われた。

広島が生き地獄と化した3日後の8月9日午前11時2分、再び長崎に原子爆弾が投下された。
当時長崎の人口は約27万人。そして被爆後3か月以内の死亡者は約7万人。一方、広島の人口は34から35万人。被爆後5か月以内の死亡者は約14万人とみられている。

放射線による障害は、被爆後数年を経過してから白血病、悪性腫瘍などとして発現することもあり、今なお35万人以上の被爆者の生命を脅かしつづけている。

現在、世界には広島型原子爆弾に換算して約130万発の核弾頭があると推定されている。たとえそれが戦争に使用されないとしても、偶発的な事故が起こらないという保障はない。人類は今、自らの命を絶つための準備を進めているとさえいえる。

平和祈念碑に設置した石魂は、爆心地より1キロメートルの地点で被爆した広島市旧庁舎の敷石と、2.5キロメートルの地点で被爆した広島信用金庫横川支店の敷石である。核兵器による極度に残虐な光景を呑み込んだ物言わぬ証人である。

鎌ケ谷市民が被爆者とともに、そしてもはや帰らぬ犠牲者に代わって核兵器の廃絶と世界の恒久平和を訴える碑とするため、同市と同信用金庫のご厚意により、平成2年8月に譲り受けたものである。
次の言葉とともに

ノー モア ヒロシマ
No more Hiroshima

平和首長会議への加盟

鎌ケ谷市は非核平和都市宣言の中の「世界の人々とともに核兵器の廃絶と軍縮を訴え、世界の恒久平和を実現すること」を目指し、平成22年1月に「平和首長会議」へ加盟しました。

平和首長会議についてはこちら(外部サイト)新規ウインドウで開きます。

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