かまがや取材日記 震災記念碑 令和2年8月18日
更新日:2020年8月26日
関東大震災の記憶
市役所正面玄関前の震災記念碑
鎌ケ谷市内を歩くと、あちこちで石碑や石塔を見かけます。古いもの、比較的新しいものなど様々ですが、いずれも先人たちの生きた証、地元の歴史を今に伝えています。この欄では今後、それらのいくつかを紹介していきます。
最初は、間もなく訪れる9月1日の「防災の日」にちなんで、市役所敷地内にある「震災記念碑」を取り上げます。9月1日という日付は、関東大震災が大正12年(1923年)9月1日に発生したことに由来しています。
関東大震災は首都圏を襲ったマグニチュード7.9、最大震度7の大地震です。死者・行方不明者約10万5000人、全壊全焼流出家屋約29万3000戸という甚大な被害が出ました。当時の鎌ケ谷村も大きな揺れに見舞われましたが、幸い被害は少なかったようです。しかし、死者を慰霊し惨状を後世に伝えるため震災翌年の大正13年(1924年)9月1日に、鎌ケ谷駅近くの道路際に石碑が建てられました。
後に市役所の正面玄関近くに移された石碑は、高さ192センチ、横80センチで正面は「震災記念」と彫られています。裏面は東京の惨状が臨場感あふれる文章で記された後、鎌ケ谷の被害については「其ノ勢力比較的緩和セラレ住家倉庫等ノ損害極メテ少ク人畜ノ死傷無カリシハ實ニ最大幸福ナリシト謂フベシ」としています。
関東大震災では、地震による被害だけでなく、流言飛語による不幸な事件も起きてしまいました。通信網が遮断され情報が錯綜した中で、朝鮮人が暴行・暴動を行っているとのデマが広がり、混乱の中で多くの朝鮮人や社会主義者などが殺されました。鎌ケ谷村内での殺害事件はありませんでしたが、北総鉄道(東武野田線の前身)の工事のため村に滞在していた朝鮮人工夫数十人が、連行される途中の船橋や市川で殺害されてしまいました。
社会が危機的状況に陥った時、デマや根拠のないうわさが飛び交います。新型コロナウイルスの感染が拡大した今春、「お湯でウイルスを防げる」などとのデマが広がったのは記憶に新しいところです。
震災記念碑は、自然災害への警戒とともに人間の行動への戒めも思い起こさせます。
問い合わせ
総務企画部 企画財政課 企画政策室
〒273-0195 千葉県鎌ケ谷市新鎌ケ谷二丁目6番1号 市庁舎3階
電話:047-445-1073
ファクス:047-445-1400