かまがや取材日記 ミニ展示「小金牧ものがたり」 令和3年3月17日
更新日:2021年3月22日
発見がいっぱい!
古文書や絵図が多数展示されている
鎌ケ谷市郷土資料館で開催中の第23回ミニ展示「小金牧ものがたり~中野牧の野馬(のま)と牧士(もくし)と野付村~」を見学してきました。本来は昨年度に開かれる予定でしたが、新型コロナウイルス感染症拡大のため一年遅れの開催となりました。
江戸時代、市域は軍馬を産出する牧場「小金牧」の中の「中野牧」に属していました。牧で放し飼いにされていた馬は「野馬」、牧周辺の村は「野付村」、牧を管理する現地の責任者は「牧士」と呼ばれていました。牧士は地元の有力農民が務めましたが、武士の身分も与えられた重要な役職です。市域では三橋家と清田家の当主が代々牧士に就任してきました。
今回の展示では、両家とその関係者らに伝わる古文書や絵図のほか、写真パネルなどの資料が数多く展示されています。中には、今回初公開の清田家最後の牧士、清田源内夫妻の肖像画や、三橋家に所蔵されていた小金牧大絵図もあります。大絵図を見ると、馬を捕獲選別した捕込(とっこめ)のほか土手、牧への入り口の木戸、馬の水飲み場だった池などがあちこちに描かれ、市域の台地上のほとんどが牧だったことがわかります。
面白い発見もありました。馬の死因が書かれた書類の中に「狼喰」との記述を見つけました。また、子馬がオオカミに食い殺されたので村人たちがオオカミ狩りを行ったとの記録も展示されています。ニホンオオカミは明治期に絶滅したとされていますが、江戸時代には鎌ケ谷にオオカミがいたんですね。ちょっと驚きです。
また、以前から思っていた個人的な疑問「比較的平和だった江戸時代に軍馬を生産する牧は必要だったのか」も解消しました。寛政11年(1799年)の野馬捕りの資料には47頭が捕獲され、江戸へ送られた上馬(あげうま)は3頭で、32頭が農民らに払い下げられ残りは静岡県の牧などに移された、とありました。なるほど、牧で生まれ育った多くの馬は農耕馬として提供されていたのですね。
このほか、当時の馬は現在のサラブレッドのような競走馬よりかなり小さく、背までの高さは130~140センチほどだったことも知りました。展示で、牧のいろいろな面がわかりました。
「小金牧ものがたり」の会期は5月9日までです。これからいい気候となりますので、郷土資料館で展示を見学した後、野馬の像がある貝柄山公園や近くの国史跡捕込跡を散策してみてはいかがですか。
小金牧にいた馬の実物大シルエットの型
貝柄山公園の野馬の像
国史跡の捕込跡
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