第3回 昭和46年当時の市内の学校(2)東部小学校の運動会
更新日:2021年11月25日
東部小学校の運動会(昭和46年5月30日)
上に掲載した写真は、昭和46年5月30日に開催された東部小学校(以下「東部小」)の運動会の様子を撮影したものです。玉入れと思われる競技が始まる瞬間を手前の校舎から写したものとみられます。ところで、現在では大半の小学校で春に行われている運動会ですが、以前は秋に実施されるのが通常でした。現に、この年の東部小以外の小学校の運動会は、すべて9から10月の開催でした。当時としては珍しい春季の運動会が行われたのには理由がありますが、その前に東部小学校の沿革を述べてみましょう。
東部小学校の前身は、明治6年(1873年)、清長庵(現南鎌ケ谷3丁目)を校舎として開校した柏井学校鎌ケ谷分校にさかのぼります。ちなみに柏井は現在の市川市の地名です。同校は翌7年に鎌ケ谷小学校として独立しますが、市域で最初の小学校でした。その後同11年からは法典小学校(現船橋市)の分校となりますが、18年に再び独立して鎌ケ谷尋常小学校となります。そして、おおむね大字鎌ケ谷を学区として存続していきますが、前回紹介した中野尋常小学校(南部小の前身)などともに、大正11年(1922年)に合併して鎌ケ谷尋常・高等高等小学校が成立したのにともない、第一分校となりました。この間の明治28年(1895年)、字二本椚(現在の鎌ケ谷8丁目5番)に新校舎を建設して移転しました。さらに、第2次世界大戦後の昭和26年(1951年)、校地を現在地(鎌ケ谷8丁目3番)へ移転して現在にいたっています。
さて、高度経済成長時代に入ると、市域の人口は増加し、子どもたちの数も増えていきました。そのため、当時市域唯一の鎌ケ谷小学校はマンモス校となりました。これに対処するため、3つの分校が次々と独立していきます。そのトップとして、昭和37年(1962年)に第一分校が再独立して、東部小となりました。独立した小学校となるため、校舎の増築も相次いで行われました。独立前の昭和35年と39年には木造校舎が建設されました。そして、同44年には、鉄筋コンクリート3階建ての校舎もできあがっていました(上の写真はこの校舎より撮影したもの)。しかし、それでも対応が困難となったため、鉄筋コンクリート建ての防音校舎を昭和46年度から翌年度にかけて建設することになりました(現在の校舎)。
実は、この年東部小の運動会が春に行われた理由は、新校舎建設に先立って木造校舎を取り壊す工事が行われることにより、秋に運動場が使えなくなるためでした。7月1日発行の『広報かまがや』NO.115には、「時期はずれ?の大会を感じさせぬ盛況」と記載されています。記事にもあるように、多数の観衆が見守っていて、この時代の運動会が非常に地域と密接な関係を有していたことが知られます。
なお、上の写真の奥中央部に写る2階建ての木造校舎は、このほぼ1か月前に実施された、町長 町議会議員選挙で、第2投票所として使用されました。その際に撮影された写真を下に掲載します。
町長・町議会議員選挙で第2投票所として使用された東部小学校の木造校舎(4月25日)
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