第7回 昭和の景観(3)市内の十字路の昔
更新日:2022年5月11日
鎌ケ谷市は、下総台地の分水界にあたることは有名です。そのため、各方面からの道が市域各所で交差しています。これらの交差点を、以前の市域では、漢字の十の字の形に交差する場合を「十字路」または「四辻」、ローマ字のTもしくはYの形に交差する場合を「三叉路」または「曲り角」などと呼んでいました。主な交差点には大字や小字などの地名がつけられ、これらの中には、現在でも通称として使用されている場合があります。
昭和46年(1971)の広報移管写真の中に、4か所の十字路を撮影したものがありましたので、以下に紹介してみましょう。
写真1 大仏十字路(昭和46年〈1971〉6月)
写真2 佐津間十字路(昭和46年〈1971〉6月)
写真1と2は、市制施行の約3か月前に撮影された写真です。1は、主要地方道「市川・印西線(通称「木下街道」)」と主要地方道「千葉・鎌ケ谷・松戸線」が交わる通称「大仏十字路」を「木下街道」南側から北方向(通称「井草三叉路」方向)を写したものです。左側にこんもりとした大木が見えますが、昭和48年(1973)に道路拡幅にともない消失した庚申塚(一里塚ともいわれています)に生育していたエノキの巨木とみられます。なお、現在の鎌ケ谷1丁目付近にあたります。
2は主要地方道「船橋・我孫子線(通称「船取線」)」の南側から撮影した通称「佐津間十字路」です。右折すると、佐津間の集落を経て海上自衛隊下総航空基地(以下「下総基地」)、左折すると東武鉄道野田線(現アーバンパークライン、以下「東武線」)の踏切を経て六実駅にいたります。現在の南佐津間および中佐津間1丁目、西佐津間1丁目付近にあたります。
写真3 粟野十字路(昭和46年〈1971〉8月)
写真4 初富十字路(昭和46年〈1971〉9月)
写真3は市制施行直前に、「船取線」の北側から撮影した通称「粟野十字路」です。左折すると粟野保育園前の交差点を経て下総基地、右折すると東武線の踏切を渡って八坂神社の前を通り入道溜の交差点を経て北初富方面にいたります。「祝 鎌ケ谷市制施行」の横断幕が掲げられています。
写真4は市制施行の日に、「船取線」と主要地方道「千葉・鎌ケ谷・松戸線」が交わる通称「初富十字路」を「船取線」南側から北方向を写したものです。右側にやや鬱蒼とした樹木が見えますが、この場所は鎌ケ谷小学校の旧所在地(前年4月に現在地へ完全移転、現在はショッピングプラザ鎌ケ谷の敷地)です。現在の初富本町1・2丁目、中央1丁目、富岡1丁目付近にあたりますが、このほかにも大きく変化しています。まず、交差点であるのにもかかわせらず、信号機がありません。「初富十字路」に信号機が設置されるのは、昭和54年(1979)のことになります。また、左側に見える鉄道は東武線です。平成18年(2006)に高架化が完成するまでは、十字路のすぐ西側に踏切がありました。写真3と同じ横断幕が見えます。
なお、4枚の写真に撮影されていた市域の主要な道路は、この時点でいずれも舗装されています。実は市内の県道(主要地方道)の舗装は、昭和40年代前半に実施されています。昭和30年代以前に写された写真では、これらの道路は未舗装です。
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