第4回 昭和46年当時の市内の学校(3)登下校の風景
更新日:2022年1月26日
今回は、およそ半世紀前の市内の児童たちが登下校する様子を、鎌ケ谷町(当時)の広報担当が撮影した写真を3枚掲載します。
1 初富字富岡地先の船取線を横断する鎌ケ谷小学校の児童(4月11日)の写真
1の写真は、現在の富岡1丁目にあたる場所の主要地方道「船橋・我孫子線」(通称「船取線」)を小走りに横断する小学生たちを撮影した昭和46年(1971年)4月の写真です。おそらく鎌ケ谷小学校の児童と思われますので、下校時の様子を写したものでしょう。船取線は、舗装こそされているようですが、簡易的なもののようで、路面の状態はあまりよくありません。
2の写真は、現在の鎌ケ谷7から9丁目にあたる、「東部小入口」の交差点で主要地方道「市川・印西線」(通称「木下街道」)を横断する小学生を撮影した同年6月の写真です。子どもたちは、木下街道を西側から東側に渡っていますので、東部小学校児童の下校の際とみられます。この写真では、木下街道を南方向へ向かう京成バスが写っています。その行き先表示は「西船橋駅」と見えます。当時運行していた白井車庫―国鉄(現JR)西船橋駅間の路線バス(現在の千葉レインボーバス白井線に相当)がたまたま写っていたようです。また、写真中央部にこんもりとした樹木と墓石・卒塔婆が見えますが、これは延命寺です。そして、その一角に、「鎌ケ谷町消防団第一分団」という看板が見える倉庫と火の見櫓らしき鉄塔があります。当時はこの場所にいわゆる消防小屋(詰所)があったのです。ちなみに、現在第一分団の詰所は鎌ケ谷9丁目にあります。
2 延命寺前東部小入口交差点の木下街道を横断する児童(6月)の写真
3 初富十字路船取線の横断歩道を渡る幼稚園児(4月)の写真
最後の3の写真は、船取線と主要地方道「千葉・鎌ケ谷・松戸線」が交わる初富交差点(通称「初富十字路」)付近の横断歩道を渡る幼稚園児を撮影したカラー写真です。当時、初富十字路にほど近い現在の初富本町2丁目に幼稚園がありましたので、登校時とみられます。実は、この段階ではこの交差点に信号機がありませんでした。そのため、横断歩道の手前の交差点の中で、乗用車が一時停止して、園児たちが渡り終えるの待っています。なお、初富十字路に待望の信号機が設置されたのは、8年後の昭和54年(1979年)のことでした。
今回ご紹介した3点の写真は、「登校・下校の際の子どもたちの道路の横断」を主題としていますが、期せずして同じフレームに写り込んでいたものにより、当時の社会状況の一端を垣間見ることができるものでした。
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