ありのみ便り 令和3年7月15日号
更新日:2021年7月20日
縄文遺跡
「北海道・北東北の縄文遺跡群」が、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録される見通しとなりました。
7月16日から開かれるユネスコ世界遺産委員会で正式決定される見込みです。国内の文化遺産としては20件目で、文字を持たない先史時代の遺跡登録は国内初です。
縄文遺跡群は大規模拠点集落跡の三内丸山遺跡、北東アジア最古の土器片が出土した大平山元遺跡(ともに青森県)、円形に石が並べられた大湯環状列石(秋田県)など約1万5,000年から2,400年前の17遺跡で構成されています。
鎌ケ谷市内にも縄文時代とされている遺跡は95か所ほどあるようです。代表的なものは、草創期の林跡No.1遺跡(鎌ケ谷警察署の北側)、中期の根郷貝塚(第四中学校の南側)、後期・晩期の中沢貝塚(貝柄山公園の西側)など。遺跡の場所は農地や宅地などのため現地で縄文の雰囲気を感じることは難しいかもしれません。でも、市郷土資料館に行けば多くの出土品が展示されていますので、縄文の社会を垣間見ることはできます。
一番インパクトのある展示は、ほぼ完全な形で出土した約4,500年前の人骨です。推定身長143センチの20歳から30歳代とみられる女性の埋葬人骨で、根郷貝塚で発見されました。この女性はどんな一生を送ったのでしょうか。中沢貝塚からは耳飾りや垂飾などの装飾品や、土偶や石棒など儀式やまじないに使ったと思われる道具が出土しています。人の顔が描かれた土器の破片も見つかっています。誰の顔でしょうか。
昔の教科書の記述は「水稲耕作が伝わり金属器も使われ始めた進んだ弥生時代」「狩猟採集中心で土器、石器を使う遅れた縄文時代」というイメージを持ってしまいがちだったと思います。しかし、多くの遺跡発見や研究の結果、縄文時代は自然とうまく共生した定住生活が1万年以上も続き、高度な工芸技術と精神性を持つ極めて豊かでユニークな社会だったことがわかってきました。これが評価され遺跡群の世界遺産登録の運びとなったのでしょう。市郷土資料館の展示品を見てもうなずけます。
ところで、市内からは弥生時代の遺跡が見つかっていません。弥生時代の前後の縄文時代、古墳時代の遺跡はあるのですが、なぜか弥生時代だけありません。市域は台地のため水稲耕作に適さなかったのかもしれません。あるいは、まだ人知れず地下で眠っているのかもしれません。謎だらけの原始時代、古代は想像力を掻き立てます。
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