初富の開墾は失業者対策だった
更新日:2018年6月25日
明治になってから、世の中はどうなっていったの?
明治維新後、世の中は大きく変わっていくけど、新政府の緊急課題は、東京にいる失業者や生活に困っていた武士の救済だった。下総の小金牧と佐倉牧の利用を検討中だった新政府は、この地の開墾にこれらの人たちを従事させることで解決を図ろうとしたんだよ。
働く場所をつくったんだね。
開墾の中心人物は、政府から20万両の出資を受けた三井八郎右衛門(後の三井財閥)。三井氏は豪商135人を選び開墾会社をつくった。
開墾は明治2年(1869)、初富の入植から開始された。初富の名は、最初に入植が行わたのを記念して付けられたもの。その後、入植順に二和、三咲、豊四季・‥と名づけられていくんだ。
たいへんな作業だったんだろうな?
開墾作業は原野を畑にする作業だけど、農具も不充分なうえ、入植者も不慣れで、作業は遅々として進まなかったようだ。また土地もやせていて、あまり収穫はなかったようだね。
北初富の光円寺には、開墾に従事した苦しい生活をしのんで、その子孫が大正7年(1918)に建てた土地紀念講碑が残されているから見に行ってごらん。
問い合わせ
生涯学習部 文化・スポーツ課 郷土資料館
〒273-0124 千葉県鎌ケ谷市中央一丁目8番31号
電話:047-445-1030
ファクス:047-443-4502