板碑でわかった信仰
更新日:2018年6月25日
鎌倉時代の終わりから室町時代にかけて、中沢の万福寺境内には、板碑(石製の塔婆)を建てた墓がつくられた。板碑は全国に広まったんだ。信仰の違いにより種子板碑(浄土教系)、題目板碑(日蓮宗)などの種類があるんだよ。
鎌ケ谷に住んでいた人は、どんな宗教を信仰していたの?
万福寺境内から発見された板碑は、弘安7年(1284)の種子板碑がもっとも古く、後に題目板碑も見られることから、浄土教系から日蓮宗へ改宗していることがわかる。でも佐津間や鎌ケ谷などのように改宗しなかった地域もあったんだ。
室町時代のことをもっと知りたいな。
室町時代の市城のようすを知る史料に、日蓮宗本土寺(松戸)の過去帳がある。過去帳というのは、信者の法名や俗名、命日を記したもので、佐津間、道野辺、中沢という村名が12例も書かれているんだよ。
この中に「妙性尼 日福取母 中沢」と記された人がいて、この人は本土寺八世・日福聖人の産婆役を務めた女性だったんだ。
こうしたことから、15世紀の中ごろにはすでに村々には、本土寺系の日蓮宗を信仰する人々がいたことがわかるね。
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