太平、真鍮、大古河、晩六梨の栽培はじまる
更新日:2018年6月25日
明治27年(1894)の日清戦争と37年(1904)の日露戦争を契機に、農村地域はずいぶん変わってくるんだ。食料不足解消のために農村地では穀物や野菜、果物の増産を図るために耕地整理事業が積極的に推進される。東葛飾郡にも15の耕地整理組合が組織され、鎌ケ谷村はそのなかでも最大規模を誇った八幡町外九ケ町村組合に属していたんだ。
梨の栽培もそのころから?
現在、鎌ケ谷市で第一の栽培品種である梨づくりの基礎はこの時期にできたんだよ。明治34年(1901)に鎌ケ谷村役場が郡役場に報告した書類によると、当時の耕地面積は5町9反(5.9ヘクタール)、栽培戸数27戸ということなので栽培地域はまだ一部だったようだけどね。品種は太平、真鍮、大古河、晩六梨などで、価格は10貫(37.5キログラム)につき1円ぐらいが相場だった。
いろいろな種類があったんだね。
大正時代になり長十郎が導入されると、収穫量が徐々に増加してくるんだ。その後、梨栽培は太平洋戦争で一時衰退するんだけど、三水(新水・幸水・豊水)の普及や耕地面積が拡大されて、いまでは栽培は鎌ケ谷市の主要産業になってるんだ。
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