ありのみ便り 令和3年1月15日号
更新日:2021年1月18日
市制施行50周年
今年は、鎌ケ谷市が50歳を迎える節目の年です。半世紀前の昭和46年(1971年)9月1日、鎌ケ谷町は鎌ケ谷市となりました。
当時は戦後の高度経済成長期の終盤でした。人口が東京に集中するのに伴い、首都圏の鎌ケ谷町も東武野田線、新京成線の沿線の宅地開発が急速に進みます。鎌ケ谷が村から町になった昭和33年(1958年)、人口は1万1500人ほどでしたが、市制施行の1年前には約3万8500人にまで急増しました。12年間で3倍以上に膨らんでいます。
昭和46年4月に千葉県立鎌ケ谷高校が新設されると、「人口は3万人以上、官公署が4つ以上ある、高校がある、銀行・会社の数や規模が他の市より劣っていない」などの市制移行要件をクリアし、鎌ケ谷市が誕生しました。
筆者が鎌ケ谷市民となって約30年。この30年で鎌ケ谷も随分変わりましたが、50年前はどんな街だったのでしょうか。幼少期から鎌ケ谷で育ち、市制移行当時は小学生だったという市役所職員に聞いてみました。
その職員の家近くの佐津間地区には水田が広がり、夏は蛍が舞い、大津川で農家の主婦が野菜を洗う風景が日常だったそうです。今、ショッピングセンターやマンションが建ち並ぶ新鎌ケ谷地区は一面、梨畑や野菜畑が広がっていたといいます。市役所庁舎も図書館本館が建つ場所にありました。もちろん、市制記念公園も北総線もファイターズ鎌ケ谷スタジアムもできていません。生活用水は井戸水で、県営水道の給水申し込みが始まったのは市制に移行した年の暮れからです。
話を聞くと、住宅都市へと変貌しながらも、まだ牧歌的な農村の風情を残していた鎌ケ谷の姿が浮かんできます。今更ながら、50年という長い時の変化を感じます。
市制施行時、初代市長は「緑豊かな夢のある市を強く打ち出していかなければ、と思う」と述べています。一方、令和3年度からの次期基本構想は「人と緑と産業が調和し未来へひろがる鎌ケ谷」を目指すとあります。50年で街の様相は変わっても、鎌ケ谷が目指す方向性は変わらないようです。
今後、市内では一般国道464号北千葉道路や新鎌ケ谷駅周辺の整備など大きなプロジェクトも計画されています。街の様相はさらに変わるかもしれません。50年後の鎌ケ谷はどんな街になっているでしょうか。
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