第21回 史料整理の現場から(1)芳野金陵の書
更新日:2022年10月4日
『鎌ケ谷市郷土資料館だより』52号(令和2年8月15日発行)からに掲載している、「史料整理の現場から」シリーズの内容をより多くの方々にも知っていただきたいと考え、随時このページでもご紹介させていただくこととしました。
また、「所蔵資料の紹介」となっていますが、「史料整理の現場から」シリーズで紹介するものは郷土資料館所蔵でないものを紹介することもあります。
今回、ご紹介する「芳野金陵の書」もそのようなものとなります。
令和元年11月、鎌ケ谷地区のある旧家所蔵の史料調査をしたところ、蔵の中で保管されていた史料から、ある一幅の掛軸が発見されました。漢詩の書を軸装したもので、109.5×53.5センチメートルほどの本紙に(表装を含めた全体は約176×66.5センチメートル)、3行にわたって詩が記されています。
解読に困難を伴う中、2つの落款(作者の姓名・号などを記した印)を手がかりに作者について調べてみると、陰刻で「芳野世育」、陽刻で「字叔果」とあるのは、前者「世育」が芳野金陵の名、後者「叔果」がその字であり、この書が幕末・維新期の儒学者・芳野金陵(享和2年〈1802年〉から明治11年〈1878年〉)の手によるものであることがわかりました。
(注釈1)「陰刻」とは文字自体を彫りくぼめたもの
(注釈2)「陽刻」とは文字を浮き上がらせるように周りを彫りくぼめたもの
金陵は、現在の柏市松ヶ崎の出身で、幕末期に江戸幕府の学問所(昌平黌)の儒官を、維新後も新政府に引き継がれた昌平学校で教官を務め、明治3年に退官した後も漢学塾を開くなど、生涯を通じて多くの門人を育てました。市域本多氏領の粟野村・佐津間村・中沢村・道野辺村の領主であった田中藩主にも仕官しており、三男の芳野桜陰もまた、田中藩校日知館や学問所の教官を務めました。
金陵の門下からは久坂玄瑞をはじめ、幕末・維新期に国事に奔走した勤王の志士たちも多く出ています。佐津間村出身の草莽の志士・澁谷総司もまた金陵に師事し、その子桜陰とともに諸国を回ったと伝わっています。
さて、掛軸に話を戻しますと、近年、東金市菱沼の旧家にもほぼ同じものが残されていることが分かりました。近世から明治期に村役人や戸長などを務め、また代々書画を愛好したその旧家には、幕末以来多くの文人・画人の作品が伝来しています。同じ金陵の書が残された経緯には、共通する何かがあるのかもしれません。また、市域とのつながりを少なからずうかがわせる金陵の書ですが、ここに残されてきた経緯を含め、詳しくはまだわかっていません。
原文とその翻刻を掲げると、以下のようになりますが、当市の旧家に所在していたものは、詩が39字で書かれていました。しかし、東金市の旧家のものと比べてみると、1字書き落としがあり、もとは40字からなる五言律詩であったと思われます。
「芳野金陵の書」(市内旧家所蔵)
左図「芳野金陵の書」書き起こし
(注釈1)「戊辰十月」は明治元年10月のこと。
(注釈2)市内で発見されたものは1行目の「鶴」の文字の後に「鷺」の文字がありません。
律詩とは8つの句で構成される漢詩のことで、1句が5語から成る五言律詩と、1句が7語から成る七言律詩とがあり、いずれも2句1組で4つの聯を形成しています。
その形を分かりやすくするため、以下の通り各句に番号を付して詩文を配列してみましたが、正確な読み下しや、翻訳は難しく、各句の語句についておおよその意味を補足するにとどめました。
書き起こしに番号を振って整理したもの
1「鑾輅」は天子(天皇)の車。「鑾)は鈴、「輅」車の意味で、「鱗々」は鱗のようにあざやかで美しいさまを指します。
2「街衢」はちまた、まちの意味で、「点塵を絶つ」とは一点の塵も無いさまのこと。
4「旛」または「旆」はいずれも旗のこと。
5「水尽」は水平線のかなた。
6「拱く」はもと両手の指を胸の前で組み敬礼する意味。「北辰」は「北極星」のこと。
7「蓬艾」はよもぎのこと。但し「蓬」は乱れているさま、「艾」は治まるという意味をもっています。
こうしてみると、漢詩を作る際のいくつかのきまりごとの一つである押韻(同一または類似の音韻をもつ語を一定の箇所に用いること)についても、偶数句の末尾「塵」「振」「辰」「新」で、シン(漢字表記では真)の韻を踏んでいることがはっきりと分かります。
また、風格ある書体もさることながら、一つ一つの文言からは、明治維新に際し天皇が江戸城に入る華やかな東京行幸(東幸)の行列が、金陵の目をとおしておごそかに美しく、大きなよろこびをもって描かれている情景を、感じることができるのではないでしょうか。
なお、「七十五翁育、旧製を録す」とあるように、金陵が75歳の時(明治9年)、当時作った詩を改めて記したもので、晩年の書の一つであると思われます。
この詩が詠まれた時から150年あまりが経ち、当時とくらべて漢詩に親しむことは格段に少なくなった感がありますが、こうした史料の発見を機に、新たに理解を深めていくことができればと思います。
注釈(本記事は、『鎌ケ谷市郷土資料館だより』52号、54号に掲載した「史料整理の現場から」1及び3の内容を再編集してまとめたものです。)
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