第34回 史料整理の現場から(14) 市域の葬送儀礼の実際
更新日:2025年2月4日
市内佐津間の旧家である澁谷家には、近世から近・現代の膨大な資料群が残されており、市は昭和59年(1984年)から整理作業を続けています。令和4年度にその大半を市にご寄贈いただき、現在その整理作業も第15次にまで及んでいます。
澁谷家の史料は以前もご紹介したことがありますが、今回は民俗行事に関する史料です。
市域で行われた葬送儀礼の内容が具体的に残されていたのは、ほんの小さな手帳でした。綴じ糸ははずれているものの、外装は黒い布張り(縦10.5センチメートル×横7.5センチメートル)で、複数の人の手による様々なメモが記されていました。その中の一つに、葬送儀礼の流れを記したものがありました。澁谷家の史料であることや前後の内容から大正5年(1916年)頃の佐津間地区の儀礼が記されていると思われます。一部をご紹介しましょう(「」内は本文そのまま、読みや漢字表記は()で補足(以下同様に補足))。
「新宅ノ母三(かあさん)ト内(うち(家))ノ母三テゆかん(湯灌)ツカワセ、湯ワカスノハ此トキハ外ニカマド(竈)ヲキツク(築く)」
昭和期、少なくとも戦前は自宅で病人の最期を看取るということはよくありました。病院で亡くなった場合でも、自宅に戻ったものです。その際、ユカンといって死者の身体をお湯で洗ってあげました。この時は母屋内のカマドではなく、外に別のカマドを作って湯を沸かしたということが記されています。さらには
「湯カン(湯灌)ハ襦袢(じゅばん)片袖ヲモギ取リテソレニテ洗ヒ、アト洗濯シテ袖ヲ付ケ仕舞ヒ置ク、是片身(形見)ナリ」
とあり、ユカンをする場合、死者の着物の片袖を切って身体を洗うのに使った様です。ユカン後にその袖を洗濯して元の襦袢に縫いもどし、それを形見にしたともあります。
写真 葬送儀礼が記された手帳(湯灌記述の前後にも葬送儀礼のことが書き記されている)
「四十九ノダンゴ(団子)ヲ五十ツクリ一ツヲ残シテ置キ四十九ヲ寺へオサメル、(中略)皆々カヘリ来リテヨリ一ツノダンゴヲ切リテ塩ヲ付ケテ食ス」
とあり、葬式当日団子を50個作り、1個を残してお寺へ納め、帰宅後に残しておいた1個の団子を切って塩を付けてみんなで食べたとあります。これは「四十九餅」と言われるもので、市内各地で行われていました。
平成5年(1993年)発行の『鎌ケ谷市史』資料編5(民俗)には、市域に近年まで伝わった私たちの親世代以前の方々の生活様式や考え方が項目別に記載されています。これは昭和62年から市内各地区の話者への聞き取り調査を行い、その内容をまとめたものです。その中の「葬制」という項目に葬送儀礼についても各地区の慣習の聞き取りが記されています。話者の記憶による「聞き取り」の中に今回ご紹介した「ユカンの湯を沸かす時は外にかまどを作る」「ユカンには死者の襦袢片袖を使う」「四十九餅」の民俗も見られます。お年寄りからの「聞き取り」内容が、今回ご紹介した当時の史料と合致することは当然のことかもしれません。しかし「伝聞」に依ったものが実際の史料から後付け出来ることは、過去の史料を読み解く者にとっては「やはり」と確信出来るこの上ない瞬間なのです。
(注釈)本記事は、『鎌ケ谷市郷土資料館だより』68号(令和6年9月15日発行)に掲載した「史料整理の現場から」17の内容に加筆し、再編集したものです。
追記 四十九餅について
市内各地区の「四十九餅」について、『鎌ケ谷市史資料編5(民俗)』(平成5年3月刊行)より該当部分の内容(509ページから510ページ)を一部改変して掲載します。
軽井沢地区
葬式の日に、投げ餅くらいの大きさの餅を五十個作り、そのうち四十九個を藁で俵の形に作ったものの中に入れ、寺に供えたり、僧侶に持たせたりする。これをシジュウクモチ(四十九餅)という。残りの一個は、埋葬後に葬家で鍋の蓋(木製)をひっくり返した上で包丁で小さく切り、親戚の者たちが食べた。なお、日蓮宗以外の家ではジュウサンモチ(十三餅)といって、葬式の日に丸い餅十三個も作り、四十九餅と一緒に寺に供えている。
佐津間地区
葬式の日に四十九餅といって、五十個の餅を作り、四十九個は寺に持っていく。残りの一個は翌日家族が鍋か釜の蓋の上で切って集まった人に食べてもらう。
中沢地区
葬式の日に四十九餅といって五十個の餅を作り、四十九個は寺に持っていく。残りの一個は枡の底の裏で小さくいくつにも切り塩を添えて忌中払いの席についた人に食べてもらう。これをシジュウクモチという。
道野辺地区
葬式の日に四十九団子といって、ハタラキ(注釈)の人がしん粉で四十九個の団子を作り、俵の形に作った袋に入れて、その晩に本堂にあげる(寺に納める)。このとき人に会わないようにして置いておく。現在(聞き取り当時)は米をあげている。なお、別にもう一個の団子を作り、細かく切って塩をつけてハタラキの人全員に食べてもらう。これをワカレノダンゴという。
(注釈)葬式のいろいろな用事を隣やムラの近所の人が分担した役割
以上のとおり、同じ市内でも地区によって同じような行いでも少しずつ異なる点もあるようです。
もっと詳しく知りたい方へ
鎌ケ谷市域の大字
この四十九餅のような民俗事例を『鎌ケ谷市史資料編5(民俗)』に多数掲載しています。
この資料編は、おもに昭和62年度から平成4年度にかけて行った市内での生活全般に対する聞き取り調査の記録をまとめたものです。調査は各地区(大字単位(注釈))の明治末から昭和の初めころに生まれた複数の話者への聞き取りを行ったものです。こうした聞き取りした事項を社会生活、生業、交通・交易、信仰、年中行事、衣食住、人の一生、口承文芸(昔話など)・芸能に分類・整理して掲載しています。郷土資料館や図書館でもご覧ただけますので、今回のお話で興味を持たれた方は、全体で808ページのボリュームですが、是非一度手に取ってみてください。
(注釈)大字とは佐津間、粟野、軽井沢、初富、鎌ケ谷、道野辺、中沢のこと。旧村名で、今も地名として残っている。各大字の位置は左図参照。
今回引用した『鎌ケ谷市史資料編5(民俗)』はお求めいただくこともできます。
市史等刊行物は刊行から一定期間経過したものは割引販売しており、資料編5(民俗)もその対象ですので、よろしければ刊行物のページもご覧ください。
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