第17回 民間信仰の史料(2)くぬぎ山の野馬観音講(のまかんのんこう)の掛け軸と石塔
更新日:2021年12月17日
前回ご紹介した北初富の三峯講と同じように、近年講が廃絶したことにともない、伝存してきた貴重な歴史・民俗資料を郷土資料館に託していただいた事例として、初富のくぬぎ山地区で行われていた野馬観音講を紹介いたします。
この講が始められたのは明治時代中期のことでした。話は明治時代初期にさかのぼります。江戸時代、現在の千葉県北部の台地上に長く存続していた幕府直営の小金牧・佐倉牧は廃止となり、大半の土地は開墾されることとなり、初富をはじめとする13の新しい開墾村が誕生しました。その際、それまで牧場に生育していた野馬たちは捕らえられ、牧地から姿を消したはずでした。ところが、実際には、捕らえられていなかった野馬もいて、開墾が始まってから捕らえられたという記録も残っています。この捕らえられなかった野馬について、くぬぎ山地区にこんな伝説が残されています。
小金牧の開墾が始まったばかりの初富には、牧であった時代の名残で、荒涼とした野地も多くあり、死んだ野馬の骨が散らばっていることもありました。そして、当時初富では火事が頻発したことから、人々は死んだ野馬の祟りではないかと考えました。そこで、野馬の霊を慰めるための塔を造立し、正月・五月・九月の十七日に寄り集まる講を行うようになったといいます。
野馬観世音供養塔(明治29年)
「火防 野馬観世音菩薩」の掛け軸
実際に講が創始されたのは、明治29年(1896年)のことでした。この時にたてられた「野馬観世音供養塔」が、もとくぬぎ山青年館のあった敷地の国道464号線沿いの場所に現存しています(以前は現在の新京成線くぬぎ山駅寄りの場所の路傍にあり、昭和15年(1940年)ころ、道路の拡幅にともない現在地へ移転したといわれています)。
そして、くぬぎ山青年館を会場として野馬観音講(別名「十七日講」)が行われていました。当初は年間3回のみの開催でしたが、後に毎月となりました。また、参加するのはくぬぎ山地区の15軒で、古くは青年館ではなく、各自の家を回り番の宿として使用していたといいます。行事の内容は、伝存する2本の掛け軸(それぞれ「火防 野馬観世音菩薩」「国常立尊」と墨書)をかけ、桴で団扇太鼓を叩きながら、お題目を唱え、そのあとで飲食をするというものでした。火事を防いでもらうことを祈願するという信仰が主眼でしたが、そのほかに、日頃の激しい労働に精を出していた人々の娯楽の機会を設け、親睦をはかるという意味もありました。
なお、「馬頭観音講」もしくは単なる「観音講」という名称の講は市域を含め各地にあり、馬頭観音塔も多数残されていますが、「野馬観音講」という名称のものは稀少です。
平成20年12月17日に行われた野馬観音講
さて、野馬観音講については、平成20年度企画展「初富 明治の下総台地開墾」に関わる調査(平成20年12月17日)を行い、実際の講の様子を写真撮影しました。ところが、平成30年度に第21回ミニ展示「地区の歴史と文化財7 初富(後期) 初富の歴史と民俗を伝える文化財 初富開墾150周年記念」で展示をするための再調査を行ったところ、すでに行われなくなっていたことが判明しました。そして、使用されていた用具などの行方をさがしてみたところ、近隣の場所に設けられていた防災倉庫で保管されていたことがわかりました。平成30年11月、地元である北初富第四自治会のご厚意により、市教育委員会へ一括寄贈いただき、郷土資料館で保存していくこととなりました。2本の掛け軸や団扇太鼓、桴、題目の数を数えるための「勧進こより」、「野馬観音寄附連名簿」など合計30点の貴重な歴史・民俗資料を資料館で末永く保管しています。
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