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第8回 100年前のパンデミック 「スペイン風邪」の史料(3)

更新日:2021年12月13日

 2回にわたって、公文書の中に記されていた鎌ケ谷村の「スペイン風邪」の被害についての史料を取り上げました。一方、郷土資料館で調査した個人宅に保存されていた歴史資料の中にも、関係のものを2点見つけることができましたので、紹介してみましょう。
 1点めの史料は、中沢の旧家に残されていた大正8年(1919年)12月の書簡です。東京四谷愛住町(よつやあいずみちょう)(現東京都新宿区)に住む男沢(おざわ)友蘇という人から、後に鎌ケ谷町長となる浅海精作(あさうみせいさく)(敬称略、以下同じ)に宛てられたものです。この書簡の中には、次のような記載があります。

(前略)既ニ御承知之通り、悪性寒(感)冒隊内に流行、勢猖獗を極め、罹病者数百名、入院患者五、六拾名、死亡者二名、大恐惶(慌)を来し、其の最も甚たしき惨状を極めたるは近歩二にして、一中隊五、六名の死亡者を出したる由ニ御座候(後略)

 すなわち、当時の陸軍でスペイン風邪が「猖獗(しょうけつ)(有害なものが猛威をふるうこと)」していて、多数の罹病者 入院患者そして死亡者まで出、パニックの状態となっていることがわかります。特に「惨状(さんじょう)」とまで書かれているのが「近歩二」でした。これは近衛歩兵(このえほへい)第2連隊のことです。ちなみにこの連隊は、天皇(てんのう)宮城(きゅうじょう)皇居(こうきょ))を警護するために設けられた最精鋭の近衛師団(しだん)に属していました。その最強連隊の兵士がスペイン風邪に倒れているということを伝えているのです。実は、関東地方におけるスペイン風邪の「後流行」は軍隊から始まり、特に近衛師団の被害が甚大であったことが指摘されています(速見融『日本を襲ったスペイン インフルエンザ―人類とウイルスの第一次世界大戦―』、2006年、藤原書店)。軍隊は、今盛んにさけばれている「三密(密閉 密集 密接)」の具体例にほかなりませんでした。この書簡は、まさにその状況を示しているわけです。
 ところで、いわば軍機ともいうべき内容が記されているのでなぜでしょうか。浅海は、3年前の大正5年(1916年)12月、徴兵(ちょうへい)検査の後、近衛歩兵第4連隊第5中隊に入隊しました。その時の上官である中隊長が男沢陸軍大尉(たいい)でした。浅海は、2年後の同7年11月に除隊し帰郷しますが、すぐさま在郷(ざいごう)軍人となり、後には鎌ケ谷村分会長に就任します。そして、男沢との交流は、昭和初年まで継続していることが確認できます。浅海は在隊中にお世話になったらしく、除隊後もしばしば甘藷(かんしょ)(さつまいも)を送付したりしています。このような関係から、男沢は浅海に近衛連隊の現況を知らせたのでしょう。なお、男沢は、大正11年には少佐として、大隊長に補任されていますので、士官(しかん)学校出身の軍人だったと考えられます。
 2点めは、別の中沢の旧家から郷土資料館へご寄贈いただいた史料です。大正10年(1921年)11月8日付けで、鎌ケ谷村長鈴木喜内の名で、陸海軍へ入営する予定者へ宛てた「流行性感冒予防接種実施ニ関スル件通牒」です。掲載した写真からもわかるように、いわゆる「ガリ版刷り」で大量に作成された文書です。その内容は、入営までに、船橋警察署で、インフルエンザ菌 肺炎双球菌混合ワクチンを2回接種すべき旨を記したものでした。

鎌ケ谷村長の通牒の写真
鎌ケ谷村長の通牒(大正10年11月8日)

 ところで、現在でもインフルエンザの流行に際して、ワクチンとよばれる医薬品が使用されます。スペイン風邪流行時にもワクチンが有効であると考えられました。ところが、当時スペイン風邪の原因は病原菌(びょうげんきん)であると考えられていたため、それに対応するものが開発 使用されました。その一つが、この史料にみえる混合ワクチンでした。しかし実際には発病を阻止する効果は低かったと評価されています。スペイン風邪は現在知られているように、インフルエンザ ウイルスに感染することによって発症する疾病でした。そのことが確認されたのは後年のことで、さらにそのウイルスに対する有効なワクチンが開発されたのは第2次世界大戦後のことでした。
 実は、史料が作成された時点でスペイン風邪は下火となっていましたが、この通牒からは、いかに軍隊がスペイン風邪の新兵への再流行を恐れていたかを知ることができます。
 100年前「スペイン風邪」は、多くの人々を恐怖のどん底に陥れました。結果として有効な対策は見つからず、政府や自治体 警察 病院などは、マスクの使用、うがいと手洗いの励行、人混みを避けることなどを繰り返し促していました。また学校は、罹患者が出ると休校となりました。ところが、大正9年の後半になると、さしもの流行が衰えていきました。多くの人がインフルエンザ ウイルスに対する抗体(こうたい)を獲得し、いわゆる「集団免疫(めんえき)」が形成されたからではないかといわれています。
 このように、たとえ現在からとほど昔ではない近 現代であっても、まだまだ埋もれた歴史が無数にあるのです。それを掘り起こしていくのも、郷土資料館の大切な仕事の一つです。

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