第4回 鎌ケ谷宿の旅籠で使われていた道具
更新日:2021年12月13日
鎌ケ谷は江戸時代、行徳河岸(現 市川市)と木下河岸(現 印西市)をつなぐ木下道の宿場町の一つでした。鎌ケ谷宿には寛政12年(1800年)には7軒の旅籠が、また明治7年(1874年)には 鹿島屋 丸屋 銚子屋 船橋屋 という4軒の旅籠が存在したことがわかっています。今回は、このうち鹿島屋で使用されていた道具を紹介します。
切溜
これは、「切溜」といって、切った野菜や出来上がった料理を入れておくための木製の容器です。大きな箱の中に一回り小さな箱が入っていく「入れ子構造」になっていて、使用していないときはまとめて収納できるようになっています。
【左】ふた 【右】本体
また、本体底面とふた表面にはそれぞれ鹿島屋のものであることを示す家印が入っており、旅籠で使用されたものと推測することができます。
鹿島屋の家印が確認できるふた表面【左】と本体底面【右】
文政8年(1825年)に蘭学者で画家の渡辺崋山が木下道を旅した際には、この鹿島屋に立ち寄っています。崋山がこの時の旅のことを記した『四州真景図』には「釜谷宿(中略)鹿島屋夕食 三人にて百四文、但し酒一合ニ付二十八文共ニ」とあり、酒を飲みながら鹿島屋で夕食をとったことが記されています。鹿島屋が当時、木下道を行く旅人を迎える宿として料理や酒類の提供も行っていたことがこの一文からわかります。
明治時代になり、宿駅制度が廃止され、また鉄道や汽船といった近代的交通手段が発達してくると、鎌ケ谷の宿場町としての機能も次第に薄れていき、旅籠の数も減少していきました。
現在、鹿島屋の旅籠の建物は残っていませんが、伝存した切溜などの道具類によって、当時鎌ケ谷にあった旅籠の一端を垣間見ることができます。
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