第15回 鎌ケ谷結婚今昔物語(1)結婚の諸儀礼
更新日:2021年12月17日
暑かった夏が終わり、涼しい秋がやってきました。昔も今も秋は結婚式を行うのに人気のシーズンです。ところが近年、日本では挙式や披露宴を行わず、婚姻届の提出をもって済ませる「なし婚」が増加傾向にあります。2019年のブライダル総研の報告によると、「披露宴」「挙式」「ウエディングパーティー」「記念写真撮影」などの結婚に関するイベントを一切行わなかったカップルは、実に全体の約2割にも達しています。
一方、昔の結婚式は儀礼が重んじられ、結婚に関する様々な行事が大々的に執り行われていました。当時の鎌ケ谷では、結婚式当日はどのような儀礼が行われていたのでしょうか。その概要をざっと見ていきたいと思います。
結婚式当日は花嫁を迎えに、新郎宅の使者が花嫁宅を訪れるところから一連の儀礼が始まります。この時、花嫁宅では結婚を祝い宴会を催しました。こののち、使者につれられた花嫁は親族を伴い、夕方以降に行列を組んで新郎宅に向かいます。この行列のことを花嫁行列といい、古くは徒歩や駕籠で移動したようですが、次第に馬車や三輪トラック、タクシーなどに代わっていったようです。花嫁をつれた一向はだいたい夜の8時から9時頃に新郎宅に到着しました。花嫁を出迎える新郎宅では7歳前後の雄蝶・雌蝶と呼ばれる男児・女児に交叉したササメ(注釈1)を持たせました。このササメに火をつけ、消したものを花嫁がまたぎます。この儀礼を鎌ケ谷では「ヒトボシ」と言いました。同じように火をまたぐ儀礼は各地にあり、「きつねが花嫁に化けていないかたしかめるため」や「火を渡る思いで婚家に仕えるため」といった意味があると伝えられています。
また、このヒトボシの儀礼と合わせて、もう一つ行われた入家式の儀礼があります。それは仲人などが花嫁の頭上に菅笠を掲げ、花嫁がこの下を潜って婚家に入るというものです。この入家式の儀礼で使用された菅笠が郷土資料館に残されています。
花嫁の菅笠
菅笠を花嫁の頭上に掲げることには、「嫁が上を向かないようにする」といった意味が込められていました。
入家式を終え、新郎宅に入った花嫁には桜茶とオチツキと呼ばれるぼたもちなどの甘味が出されました。桜茶を飲んで一息つくと、ようやく本番の祝言が始まります。このころにはもう夜もだいぶ深まっていて、10時から祝言が始まったということも少なくありませんでした。祝言ではまず三々九度などの諸儀礼が行われたのち、酒宴となりました。宴の終わりには、花嫁がお茶を出し、これを「ヨメノオチャ」と呼んで酒宴終了の合図としていました。この宴は長ければ長いほど縁起がいいとされ、時には明け方まで続くこともあったそうです。長く長く続いた一日はこれをもってようやく終わりを告げます。
このような大々的な結婚儀礼を行った昔の人たちは、いったいいつ婚姻の届け出をしたのでしょうか。実は昭和の初めころまでは、すぐには籍を入れなかったといわれています。鎌ケ谷ではだいたい結婚1年後を過ぎてから、もしくは妊娠してから入籍ということになったようです。現在挙式を行う人たちは、挙式前に入籍する割合の方が高いので、この点は現在と異なります。
これには様々な要因が考えられますが、大々的な諸儀礼が社会的役割を十全に果たしていたということも一因としてあると考えられます。
(注釈1)ササメは茅に似たイネ科の野草で、鎌ケ谷ではこれを使って蓑などが編まれました。
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