第10回 銃後の鎌ケ谷 戦時中の結婚式
更新日:2021年12月15日
銃後の鎌ケ谷 戦時中の結婚式
今から80年前の昭和15年(1940年)、日本は皇紀2600年という記念の年を迎え、これに関連する祭典が各地で華々しく行われていました。しかし、その一方で日独伊三国同盟が結ばれるなど、長期大戦に向けた準備が着々と進められていきました。このような状況下で国民の日常生活も戦時体制に合わせたものに塗り替えられていきました。
このころ、千葉県も戦時の体制に合わせて生活の刷新を図るため、県内の市町村に働きかけました。鎌ケ谷市もこの動きに対応して生活刷新委員会が設置され、銃後の日常生活全般に関する指針が立てられました。
この指針の作成に関わった生活刷新委員のうちの一人が提出した意見書が残っています。
これをみると衣食住から冠婚葬祭にいたるまで微に入り細に入り村民の日常生活を規制しようと意図されていたことが分かります。中でも冠婚葬祭をはじめとする儀礼については「国運険難ナル現時ニオイテ」「宜シク国策ニ敬順シテ万事出来得ル限リノ勤倹ヲ計リ社交儀礼ハ誠実信義ヲ以テ先務トスベシ」と求められています(「生活刷新意見書」)。儀礼のうち、最も深く言及されているのは結婚式についてです。
「生活刷新意見書」(昭和15年 鎌ケ谷市郷土資料館所蔵)
では当時はどのような結婚式が求められたのでしょうか。この提言書で推奨された結婚式の一例を下記の表によりみていきたいと思います。
時間 | |
---|---|
午後1時 | 両家および関係者が氏神社殿へ参集 |
午後1時半 | 挙式開始 |
天皇・皇后両陛下へ万歳三唱 | |
祝詞奏上 | |
両家・新郎新婦へ万歳三唱 | |
三々九度 | |
親族盃の儀 | |
両家・親族を参列者へ紹介 | |
午後3時 | 挙式終了 |
午後4時 | 披露会会場(新郎もしくは新婦宅)へ両家・関係者、参集 |
午後5時 | 披露会開始 |
会場戸主による挨拶 | |
新郎・新婦紹介 | |
新郎・新婦へ万歳三唱 | |
来賓祝辞 | |
戸主による答辞 | |
祝宴開始 | |
午後8時 | 披露会終了 |
【備考】花嫁は紋付の黒キャラコの着物、花婿は国民服を着用
【備考】花嫁衣裳及び挙式代・披露会代の費用についてその家の資産に応じて制限あり
提言書に書かれた結婚式の一例を見ると、挙式の時間が1時間半も取られています。また、挙式中に天皇・皇后両陛下への万歳三唱が計画されるなど、現在の挙式とは違いが多くみられます。また、披露宴の会場として花嫁・花婿のどちらかの家が想定されています。これは披露宴がこの時代は両家どちらかの家で行われることが一般的であったからです。
加えて、意見書では結婚式にかける費用をその家の資産などに応じて制限することが提言されています。この制限は衣服・調度から挙式・披露宴にいたるまで具体的に設定されています。では、このような制限は本当に鎌ケ谷村の中に存在したのでしょうか。
実は、この提言書が書かれた翌年の昭和16年、結婚式の費用制限などに関する村内の規定を破ってしまった人が書いた弁明書が残っています。この資料により実際に、鎌ケ谷村では結婚式にかける具体的な金額規制があったことがわかります。では、もう少し詳しく見てみましょう。
この弁明書によると、このころ鎌ケ谷村ではその家の資産などに応じて3階級によって、披露宴にかけられる金額が500円・300円・150円の制限をかける規約が設けられていたことがわかります。一方で、この弁明書を書いた家では本来であれば披露宴にかける費用を150円以内に収めなければいけないところを200円かけてしまい50円を超過してしまっています。この男性はこのことを振り返り下記のように書き記してあります。
式典ハ社界ニ率先シテ新体制ノ尤モ正シキ模範タルシムベシト非常ナル意気込ミナリシガ、イザ実行トナルニ逮ビ、内外種々ノ壓迫ニヨリテ左支右吾ノ窮境ニ陥リ予期トハ格段ノ懸隔ヲ生スルノ止ムナキ情勢ヲ乖致シタルコト之ナリ
「鎌ケ谷村長国松豊吉君ニ呈スルノ書」(昭和16年 鎌ケ谷市郷土資料館所蔵)
結婚式を挙げる際に村の規定金額どおりに行おうとすると、参加者を制限せざるを得ませんが、そうすると「漸時周囲ノ空気ニ斯リテハ後来不良ノ結果ヲ及ボスベキ」というように周囲からの圧がかかるというのが実態であったようです。結婚式に関する儀礼は旧来から行われており、その旧習は戦時下にあっても、中々変えることはできなかったようです。
しかし、このような違反が明るみに出ると、今度は規約違反のため制裁を受けることになりました。
昭和15年11月29日に鎌ケ谷村長から出された通知には、旧来通りの結婚披露会を行い村の規約に違反した者には「物資配給の一切を停止」するという強硬な態度で臨んでいることがわかります。
「生活刷新実施ニ関スル件」(昭和15年11月29日 鎌ケ谷市郷土資料館所蔵)
長期化する戦争の中で「ぜいたくは敵だ」とされ、質素・倹約の必要性が至るところで唱えられました。そのような中で、鎌ケ谷村という小さな村の一個人の結婚式までも批判の対象となっていったのです。銃後にあった鎌ケ谷村の人々は、戦争により窮乏し変化を余儀なくされる暮らしに翻弄されていきました。
今回紹介した資料はすべて鎌ケ谷市郷土資料館で現在開催中の収蔵資料展示「銃後の鎌ケ谷-終戦75周年記念-」に展示してあります。終戦からちょうど75周年を迎える今年、鎌ケ谷村が歩んできた戦争の歴史について振り返ってみるのはいかがでしょうか。
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