第31回 史料整理の現場から(11)昭和30年、東武鉄道の「ストライキ予告」ちらし
更新日:2024年9月8日
市内佐津間の旧家である澁谷家には、近世から近・現代の膨大な資料群が残されており、市は昭和59年(1984年)から整理を続けています。令和4度にその大半を市にご寄贈いただき、現在は、その整理作業も第15次にまで及んでいます。
澁谷家旧蔵文書では特に近・現代の史料の中に不用となった紙(反故紙と呼ばれる使用済み、未使用の紙類)の裏紙を使用して作成した書類が多く見られます。今回は再利用した裏面ではなく、印刷された表面に着目してみましょう。
写真は昭和30年3月25日付けの東武鉄道株式会社(以下「東武」と表記)が作成配布したストライキ(以下「スト」と表記)予告のちらしです。「御乗客の皆様へ!」と題し、東武鉄道労働組合(以下「東武労組」と表記)賃上げ要求の結果次第では、翌26日に柔軟闘争(電車は運行するが主要駅では改札口で切符に鋏を入れず回収もしないこと)、27日に24時間ストを決行する旨の発表があったと、経営主である会社側が事情説明をして沿線住民に理解を求める内容となっています。春季賃上げ闘争(春闘)は正式には昭和31年から始まっており、このストはその走りだったといえるでしょう。
東武鉄道「ストライキ予告」ちらし(昭和30年(1955年)3月25日)
このストは東武1社だけではなく、全国の日本私鉄労働組合総連合会の101組合が参加し、全国一斉に行う予定でした。3月26日から27日未明に及ぶ各社の団体交渉で、7割近い会社は妥結、話し合いがついてストを中止していますが、東武は関東大手私鉄で唯一交渉が物別れとなり、27日は朝7時からストに入っています。東武野田線・東上線と東京、埼玉、千葉を含む1都5県にまたがるバス路線全線が運行休止になりました。当日は春休み中の好天に恵まれた日曜日で、ストを知らずに駅まで足を運び、「スト決行」の立て看板を見てがっかりして引き上げる利用者も多かったようです。足を奪われた沿線の人々が、近場の映画館などに足を運び『映画館は満員の盛況』、発車しないバスをにらむ人たちを、同じ方向に相乗りさせていくタクシーは『ストに感謝?していた』といった見出しの新聞記事も見え、東武労組ストのお陰で売り上げが増えた業種もあったようでした。
賃上げ以外の問題が未解決のため、また翌4月3日に24時間ストを決行することを、東武労組は会社経営側に通告しました。そのため、上記と同様の案内を4月2日付けの新聞などに東武は掲載していますが、幸いなことに同日夜からの徹夜交渉で妥結し、2度目のストはなんとか回避されました。
最近の事例としては、令和4年の夏にも都内のデパートが休館ストをしたのは記憶に新しいですが、昭和30年代から50年代は、私鉄・国鉄各労働組合の春闘に関わるストは珍しいことではありませんでした。現在では、国民の足である鉄道が動かないことは考えられませんが、50歳代以上の方には昼間に駅のシャッターが降りている光景を覚えている方も多いのではないでしょうか。
裏紙として再利用されたからこそ残された歴史のひとコマに巡り会える、史料整理という仕事は、そんな未知との遭遇に溢れています。
(注釈)本記事は、『鎌ケ谷市郷土資料館だより』66号(令和6年2月1日発行)に掲載した「史料整理の現場から」15の内容を再編集したものです。
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