第24回 史料整理の現場から(4)紙背に残された100年前のスペイン風邪流行の記録
更新日:2023年4月19日
今回の表題にある「スペイン風邪」の関連の史料については、このシリーズの第6回から第8回でも紹介しましたが、また、新たな視点からの史料をご紹介します。
市内佐津間の旧家である澁谷家には、近世~近・現代の膨大な史料群が伝存しています。市としての史料調査は、当館開館以前の昭和59年(1984年)の第1次調査以降、令和2年(2020年)に整理を始めた第14次調査に及び、現在も継続して行っています。
澁谷家文書の中で、とりわけ近・現代の史料には、不用となった紙(一般に広く反古紙と呼ばれる、使用済みの紙や使われなくなった未使用紙類)の裏(紙背)や余白を使用して作成した書類が多く見られます。
写真は、昭和20年から昭和30年代の綴の中に使用されていた、1枚の紙の裏(本来の表側)を撮影したものです。大正7年(1918年)12月7日付けで、金海瑩という人物から渋谷家当主に宛てた、大正7年度の収穫高調定報告書の送付状です。
当時渋谷家では、朝鮮全羅南道(現大韓民国南西部)において農場を経営しており、金海瑩は現地事務所(現羅州市内に所在)の管理人を勤めていました。のちにその事務は農場が所在する行政区が代行することとなり、収入の半分が教育費として寄付されるようになります。
さて、本文に続く追伸の部分に、次のように記されているのが注目されます(傍線は本記事の掲載のため付したものです)。
スペイン風邪の流行を示す史料(赤枠内)
スペイン風邪の記述部分の書き起こし(赤枠内)
処暑の頃(8月下旬から9月上旬)の暴風雨では心配していたほど収穫量の減少はなかったものの、感冒が流行したため、未だ大部分が稲の刈入れを終えていないこと、現地警察署各管内では毎日平均15人以上の死亡者が確認されていたことがわかります。
「感冒」とあるのは、日本では当時「流行性感冒」とも表記されていた、スペイン風邪(インフルエンザ)のことと想定されます。大正7年12月は世界的に第2波の流行期にあたり、罹患数に比して致死率が上昇した時期でした。文面からは、朝鮮半島南部においても、被害が拡大していた様子がうかがえます。
当時から約100年後、新型コロナウイルス感染症第6波(令和4年1月から令和4年3月末ころ)流行の危機に直面するなかで見つかった記録ですが、このような状況でなかったなら、見過ごしてしまっていたかもしれません。
【注釈1】本記事は、『鎌ケ谷市郷土資料館だより』58号に掲載した「史料整理の現場から」7の内容を再編集したものです。
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